こんにちは。ちえです。
今日は、
来週、11/3(土)から公開される、ドキュメンタリー映画のご紹介をさせて頂きます。
映画のタイトルは、
認知症の母と耳の遠い父と離れて暮らす私ー泣きながら撮った1200日の記録
です。
この映画の舞台は、広島県呉市。
東京に住む一人娘の私(監督:信友直子さん)が、自らカメラを回して撮った、認知症家族のドキュメンタリー映画です。
「認知症の母」「田舎の老老介護」「遠くに暮らす娘の私」「港町」「私の乳がん」
僭越ながら、自分自身とシンクロしすぎて、「映画の中の親子は、ワタシだ!!」と、心臓のドキドキが止まりませんでした。
この映画は、ワタシの心を震わせた、衝撃のドキュメンタリーなのです。
娘の眼、ハンディカメラが映す日常は、認知症家族のリアルそのもの!
映画では、信友家の「ありのまま」が、次々に映し出されていきます。
母の異変、認知症の診断、意欲減退、料理が作れなくなる、洗濯ができなくなる、
はじめてのデイサービス、訪問ヘルパーの受け入れ、家事経験ゼロの父、90代の老々介護、
感情的なぶつかり合い、一人娘、遠距離介護。
信友家に起こっていることは、今の日本では珍しいことではありません。
今、この瞬間にも、日本中の沢山の家族におきている、リアル。
では、私が、なぜ、この映画に、そこまで衝撃を覚えたのか?
それは、
「泣きながら撮った1200日の記録」という、その涙の理由が、痛いくらいわかるからです。
病気に直面して苦悩する母をカメラで追う。
それは、よほどの覚悟がないとできません。
「両親の記録を撮ることが自分の使命」
苦悩する母親にカメラを回し続け、どれほどの涙を流したんだろう・・・?
自分の気持ちにどうやって折り合いをつけたんだろう・・・?
美化もせず、ことさら大げさに飾らず、淡々とありのままの日常が綴られているリアル感が、胸に響きました。
今までの人生で想像すらしなかった、「作り手側のシンドさ」を、この映画を観て、私ははじめて知りました。
実はこれまで、このブログに父のことをさんざん書き散らしている私ですが、
母の事は、ほとんど書いていません。
「書いてない」というより、「書けない」のです。
母のことが大切すぎて、清らかなまま、守りたくて・・・。
母が亡くなってから、もう8年も経つというのに、思い出すといまだに泣けてくるし、ブログにすら書けないでいます。
意気地なしのメソメソです。
だからなおさら、信友監督が、「泣きながら撮った」というのが心理的にどれほど過酷な作業なのか、痛いほどわかるのです。
映画を観ていると、認知症の母を想って暮らした、あの頃の自分と重なりすぎて、感情の波がうねりまくって、気持ちが大忙しでした。
ギュッと胸が締め付けられたり、クスッと笑ったり、ボロボロ泣いたり。
この映画を見られた方は、きっと、
「あぁ、我が家も同じだ!」という、ちょっと苦しい瞬間があったり、暖かな気持ちになれたり、幸せになったり、いろんな共感を受け取れるはずです。
認知症本人の苦悩、葛藤。認知症の人はなにもわからないのではなく苦悩しているのです
「ぼけますから、よろしくお願いします」というのは、
映画の中で、お母さんが実際におっしゃったコトバです。
認知症の症状を自覚して、まるで自分の気持ちに折り合いをつけるように、
そして、どこかにいるはずの神様に、そっと祈るように、
お母さんは手を合わせ、
「ぼけますから、よろしくお願いします」と言うのです。
このシーンを見ながら、私も、母のことを思い出していました。
私の母は、これまで貯めたきた預金通帳を私の手のひらに載せて、こう言いました。
「ちえこさん、これ、預かってくれんね・・・。頼むね・・・。」
少し寂しげな、そして、何かを決心したような顔をしていました。
母が認知症と診断される少し前のことです。
その頃の母は、自らの認知症状に気づき、不安の霧の中に居たのだと思います。
能天気で破天荒な父に相談もできず、かといって、自らの認知症を認めることもできず、すっかり自信をなくしていました。
私は、
「うん、わかった。心配しないで。大丈夫」といいました。
それからの母は、
まるで、階段を一つずつ降りるように認知症の症状が増えていき、それと引き換えに、菩薩様のような笑顔が日常になりました。
多幸的というか、現実感のないフワフワとした幸せ感の中に、いつも住んでいるのです。
そんな母にも、時折ふっとクリアになる横顔があり、その母が、おどけて手を合わせ、こう言ったのです。
「ボケがなおりますように。ボケがなおりますように。」
笑顔を歪めて笑う母の面影が、映画の中の「お母さん」に重なりました。
「ぼけますから、よろしくお願いします」
映像の中で、私の母が、そう言っているようでした。
食べて食べて!そして、笑って! 食べることは生きること
この映画の中には、食事シーンがたくさん出てきます。
お父さんが淹れるコーヒー、カレイの煮付け、ヘルパーさんがふかしたお芋。娘(監督)がつくる煮物。
どれも、温かな湯気を上げて、美味しそうです。
いつもの台所、使い慣れた包丁、そして、お父さんの席、お母さんの席。
何十年も繰り返してきた、「食べる」ということ。
そして、「食べるという場所」「家」「空気」「匂い」
食べるということは、生きることなんだなぁと、つくづく思いました。
中でも、私のツボだったのは、
お母さんが、
近所の魚屋さんから、魚の入った袋をぶら下げて帰ってくるシーン。
広島市呉の風景が、私のふるさと五島列島に重なりました。
無造作にまな板に乗せて、「バンっ」とカレイをまっ二つに切る。
昭和感漂うお皿にのせられた魚の煮付け。
魚の煮付けは、港町の定番メニューですね( ^ω^ )
海育ちの方はきっと、「うわー、この感じ、わかるぅ!!」となるはず!
そして、私は、願うのです。
「食べて!もっと食べて! よかった!元気に食べてる( ^ω^ )」
我が家の場合は、
認知症の母も、誤嚥性肺炎だった父も、最後は食べれなくなってしまいました。
多少不器用な食べ方だろうと、さつま芋をイッキ食いしようと、
どんな状態であれ、「食べれる」と言うことは、「生きている」ということなんですよね。
笑顔で「美味しい!」と言えるって、本当にシアワセです。
両親を看取って、
「食べれなくなっていく切なさ」を知っている私は、
お母さんが美味しそうに食べるシーンが大好きです。
「そう、そう! 頑張って食べて!」と映像にエールを送りました 笑
ガラガラっと玄関を開け、「だだいま~」と言う前に、深呼吸した話
映画の中で、何度も繰り返される、帰省のシーン。
娘である信友監督の「ただいま~」という声が、なんとも耳に優しいです。
広島弁のイントネーションがすごくいい!
引き戸をガラガラ~っと開けて、「ただいま~っ」と明るい声なんです。
きっと、監督は、可愛い一人娘だったのでしょうね。
私の実家の玄関も、引き戸なので、
帰省したときは、「ガラガラ~っ」と玄関を開けてました。
でも、玄関を開ける前に、私は、必ず深呼吸してました。
久しぶりに会える嬉しさや、不安や、迷いや、悩み。
ごちゃごちゃの気持ちをリセットするために?深呼吸するのです。
そして、全力の明るい声をだして、「ただいま~っ」と玄関を開ける。
いつも、そんな感じでした・・・。
信友監督は、いつもどうしてるのでしょう?
私みたいに、深呼吸すること、あるのかな?
もし、お会いするチャンスがあれば、訊いてみたいです(笑)
まとめ
映画「ぼけますから、よろしくお願いします」には、認知症介護をしているご家族は、日々の「認知症あるある」が詰まっています。
離れてくらすご親子の「その気持ち、すごくわかる!!」も、たくさんあるはず。
今、認知症介護に直面している人も、遠距離介護の人も、きっと、「自分だけじゃないんだ」と勇気をもらえます。
信友監督が「泣きながら撮った」この映画は、きっと、たくさんのいろんな想いを、みなさんの心に届けてくれるに違いありません。
そして監督は、
「私は、映画にユーモアと希望を感じてもらいたいと思って作りました。
認知症になっても終わりじゃない。」
と言います。
ほんとうにそうですね!
私も心からそう思います!
認知症で大変なこともあるのは確かですが、暮らしの中には、笑顔も沢山あります。
思わず、クスッと笑ってしまうようなことも!
それが、本当にリアルです。
「ぼけますから、よろしくお願いします。」は、
きっと、介護をする家族に様々な勇気と希望をくれ、いろんな家族のあり方に寄り添ってくれます。
皆様もぜひ、映画館に足をおはこびください。
そして、映像の中の信友一家に、逢いに行ってみてください(o^^o)
きっと、大切な何かを受け取れますよ♡
「ぼけますから、よろしくお願いします」上映スケジュールと公式サイト
▼公式サイトはこちら↓
1018年11月3日(土)~ポレポレ東中野ほか全国で順次公開予定
▼ポレポレ東中野の上映スケジュールはこちら↓
https://www.mmjp.or.jp/pole2/news.htm
信友監督に逢える、トークショーもありますよ♪
・・・・・
両親を天国に見送った私には、
「いま生きている」
という事が、すごく貴重なことなんだと思えています。
認知症でも大丈夫!
遠距離介護でも大丈夫!
なんとかなりますよ(o^^o)
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離れて暮らす家族を全力応援!
遠距離介護のケアミーツ@横浜
http://care-meets.com
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