父と母、2人の老々介護生活が限界だった頃は、
実家の ”汚宅” ぶりも、
崖っぷちだったと思う・・・・。
帰省した実家のトイレで、巨大なハエの大群と
戦ったエピソードも!
その数なんと31匹!
今回は、そんな思い出話を書いてみます。
食事中の方、ごめんなさい。゚(゚´ω`゚)゚。
潔癖性なまで綺麗好きだった母が、認知症になった。
かなり早い段階で母の認知症に気がついたのは、
それまでの母が綺麗好きだったおかげでもある。
(なので、母が綺麗好きであった事は、
それはそれで、役にたった・・・?)
母が認知症になったので、
父が、
母の介護を引き受けるようになった。
その時点で、
”清潔” に関するグレードが
ガクンと落ちた。
まぁ、仕方ない。
オーケー!
”母が認知症になった”
という、
今おきている問題の、
根本的な大きさに比べたら、
目の前の
”ホコリ”や、”カビ”や”ゴキブリさん”
は大した問題ではない。。。。
とりあえず、オーケー!
と、、、、自分を励ましてみる(ー ー;)
自分の中の”鈍感力”をフル稼働し、
細かいところは見ないようにし、
”父と母の日常で必須でないモノ”
のヨゴレに関しては、
全力でスルーする(^◇^;)
今までの人生で使ってこなかった
”スルーする力”
が、大分育ってきた。
そして、
帰省した際には、
”ココは大事”という場所に的を絞った上で、
お掃除マシーンと化して
お掃除しまくる。
優先順位。
そう、優先順位は大事。
遠距離介護の帰省は、
時間と体力の戦いだ。
気になるからといって、
帰省している時間内で、
全ての問題が解決できるわけでもない。
時間も体力も、限られているのだから。
実家に滞在できる時間の
砂時計がサラサラと落ちていくのを
横目に見ながら
まるでトライアスロンみたいに
次々といろんなミッションを片付けていく。
日中は、
ケアマネさんと打ち合わせをしたり、
母の精神科受診に付き添って、医師の話を聞いたり、
不足している雑貨を買い足したり、
日頃お世話になっている親戚宅に
挨拶に行ったりするので、
早朝から分刻みでフル稼働しても、
日が暮れてしまう。
なので、
お掃除ミッションは、
たいてい真夜中の孤独な戦いだ。
”おやすみなさい”と、
両親の寝室の電気を消してから、
黙々とお掃除に集中する。
押入れやタンスに
隠すように押し込まれた汚れ物を
引っ張り出し、
お風呂場のタライで、
頑固なシミになった衣類を漂白し、
シーツをつけおきしておく。
そして、
時には、
真夜中の家のあちこちで、
ツヤツヤと茶色く光るゴキブリさんと
出くわして、
『うわっ!!』と小さく叫んでみたりする。
辛いと思ってしまうと、
呼吸するのも辛くなりそうなので、
辛い気持ちもスルーしてみる。
そんな感じの帰省を、何度も繰り返す。
オーケー。大丈夫。
お父さんも大変なのだから、
”キタナイ!キタナイ!”
と怒るのはやめよう・・・、
と、
深呼吸して、
何度も、自分に言い聞かせてみる。
辛い、苦しい、悲しい、情けない、惨めだ、
などと思ってしまうと、
そこで作業が止まってしまいそうで怖かった。
だから、気持ちにも蓋をする。
そして、オーケー、大丈夫!
と自分で自分を励まし続けていた。
(その当時は、そうすることしか出来なかった。。。)
そして、そんな帰省を繰り返し、
数年が過ぎ、
どうやら父も認知症になった。
そうなると、
自宅の”汚宅”ぶりは、
”清潔に関するグレード”
なんてものではなく、
”生存に関するグレード”
の問題になる。
そして、
今まで、しぶしぶ、
”オーケー”
を出し続けてきた私が、
老々介護の”汚宅”管理の、
限界を思い知ったのは、
トイレで、
丸々と肥え太った、
見たこともない数のハエの大群が飛び回っているのを
発見した時だ。
その数、確認しただけで31匹!!
ハエの羽音が騒音レベルに達するような
惨状・・・・。
何年たっても、鮮明に蘇る光景だ。
(読んでる方も疲れてくると思うので)
ハエの大群とどう戦ったのか?
続きは、また次回(^◇^;)