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認知症介護にユーモアを!母の黒焦げ料理を笑いに変えた、父の才能とは?

ユーモア 笑い
ユーモア 笑い

【実はあった!遠距離介護の中でみえた、父の素敵な才能!】

 

このブログで、たびたび登場する私の父。

「わがまま」「勝手」キャラで登場する事が多い父だが、

唯一、尊敬してやまないのは、
その類まれなるギャグセンスだった。

ほら吹きで、自己中心的で、あまのじゃく。

気まぐれに発する言動や行動で、
家族をストレスの渦にさらすことも多かった。

周りの事は一切気にしない我が道を行く父が、
それでも
なんとか孤立せずに、世間に許されていたのは、

おそらく、
天から授かったユーモアセンスのおかげではないかと思う。

父のブラックキャラばかり書いていると、
ひどい娘になってしまいそうなので、
ここらで、父の素敵なところも紹介しておこうo(^▽^)o

 

【認知症の母の失敗を、笑いに変える魔法】

 

母が認知症になってから、実家の老老介護が始まった。

母が料理を焦がしてしまうので、
家中の鍋が、まっ黒焦げになった。

その鍋を、
父がどこかから拾ってきたと思われるナゾの軽石でゴリゴリこするので、
どの鍋もデコボコになった。

帰省して、
その無残に変わり果てた鍋を見る私は、
思わず、ドンヨリと悲壮感に包まれてしまう。

「なんで、軽石なんかでこするのよ!!」

と、父に当たり散らすと、

「おー、コワイコワイ!
またチエコにおこられるー!
はよー、逃げんばねー、お母さんo(^▽^)o」
と母と手をつないで逃げるふりをする。

そして、

だってさー、
お母さんは、備長炭焼の天才なんだよー。
こないだもさー、
「ホーっ!!
すごい上出来な備長炭をつくったねー!」

って思ったらさー、
元は餃子だったんだよねーo(^▽^)o
ねー、おかあさん!」

とケッケッケっと笑う。

なに??・・・備長炭焼の天才????・・・笑

怒りを忘れて、つい、私も笑ってしまう。

また父にやられてしまった。

また、ある時は、

オムツの中に大量に排便したまんまテレビをみていた母に、

「ほー、お母さんは、貯金が得意だなぁ。
ウンチまで貯めこまなくていいのになー」

と、笑いながらトイレに連れて行きオムツを変えていた。

もちろん、
いつもいつもというわけではないけれど、
暮らしの中に、大抵、絶妙なユーモアを絡ませてくる。

父が冗談を言う度に、
母は楽しそうに笑った。

なので、父がまた調子にのって冗談をいう。

いったいどうして、
父はそんなことができたのだろう?
と思う。

だれに教わったわけでもないのに、
いつも母の手をつなぎ、
母の顔を覗きこみ、頻繁に頭を撫でていた。

なんとなく
ユマニチュードっぽい。

若い頃は夫婦仲が悪かったはずなので、
全く不思議だ。

あれは、苦労ばかりかけた母への、
せめてものつぐないだったのだろうか?

ともあれ、

こんな感じで、
老老介護の毎日の中で
なぜだか、父も母もよく笑って暮らしていた。

悲惨なはずの老老介護で、
暗くならずに済んだのは、
父のユーモアのおかげだったのだと思う。

多分、一番暗かったのは、
おそらく・・・・私だ。

 

【父は寝たきりになっても、なんだか面白い】

 

だいぶ時が流れて、
母はお先に天国に旅立ち、

父も続いて認知症になった。

(この時期は、暗黒の大荒れ時代。
この頃の話はおいおい書いていきます)

そして、父も最後は寝たきりになった。

呼び出されて、東京から入院病院に駆けつけると、
父は大抵つなぎ服を着せられていた。

いわゆる拘束服。
点滴を抜いたり、大暴れしてしまうからだ。

「お父さん、素敵な服着てるね!似合ってるよ!
その模様って・・・もしかしてルイヴィトン?o(^▽^)o」

私が冗談をいうと、
「そうねー?似合うやろか?
お父さんは、なんでも似合うとたい!」
と、
自慢げに返してくる。

たぶん、意味なんてほとんど分かってないと思うけれど、
その絶妙な間の取り方が面白いのだ。

さすがに、もう、冗談を仕込むどころか、
長い会話をする能力も失われているはずなのに。

こんな調子なので、
最後にお世話になった特養では、
父は、やたら、可愛がられていた。

人生最大のモテ期。

父は確かに、
父自身が天から授かったユーモアセンスに救われていたのだ。

 

【人生最後の締めくくりも笑いがいっぱい!】

 

最後の日々を、父は特養で過ごした。

そして、
それまでのお騒がせぶりが嘘のように、

最後はあっけないほど物静かに天国に旅立ってしまった。

父が旅立ったその日は、
たまたまのお葬式ラッシュで、
予定していた葬儀屋さんの手配ができなかった。

タッチの差で出遅れるとは、
そのマの悪さが最後まで父らしい。

代わりにお願いした葬儀屋さんが飾ってくれた遺影は、
なんと、ハワイアン調!!♪( ´▽`)

ヒラヒラとした華やかな(しかも下品でチープな)造花に、
父の満面の笑みが縁取られているのを見て、

あろうことか、大笑いしてしまった。
父が最後に放った、最高のギャクだ。

文字通り、泣き笑い。

葬儀屋さんに、
「どうでしょうか?」と大真面目に聞かれ、
泣きながら、そして、笑いながら、

「サイコーです!!」とオーケーサインを出した。
だって、他に選択肢がないのだから仕方がない。

葬儀屋さんは、
「そんなに気に入ってもらえて、嬉しいです!!」と、
「けっこう、みなさんにいいねって言われるんですよね、これ」
と、マジで喜んでいる(^◇^;)。
まぁ、いいか(^◇^;)

(お葬式がおわってから知ったのだが、あのハワイアン調の
遺影飾りの造花は、なんと使い回しているらしい。
どうりでちょっと薄汚れていた(^◇^;))

夜になって、島に到着した叔母達は、
ハワイアン調に縁取られたの父の遺影をみて、
みんなで笑い合った。

「ほーっ! よかたいねー。なんやこれ(爆笑)」

「えーーーつ!! 兄ちゃん(父のコト)、まるでいい人みたいに
写真に写っとるねー!!」

「もとからこんなだったら、もっと好かれたとにねー!」

叔母達は、
父が生前やらかした数々のエピソード(主に悪口)
を思い出話に、
ワイワイと楽しんでいる。

「全くさー、いつもロクなことしなかったよねー!etc」

永遠の眠りについたばかりの父の棺の前でだ。

「あ!ごめん、悪口いっちゃったぁ。
兄ちゃん、聞いとるばいね!」
「よか、よか!よかたい!(笑)」

「チエちゃんも、やっとラクになるたいねー。」

そして、叔母は、
帰り際に、
「ごめん、アンタにとっては父親なのに、
悪口ばっか言って。
全く常識ない叔母さんでごめんねー。」

と、私と詫びた。

「いやぁ、賑やかでいいよ。なんか、お父さんらしいもん」
と返した。

ほんとにそうだ。

全然、しんみりしていない。

まったく父らしい。

いろいろあったけれど、
(いやまぁ、父のおかげで、散々な思いもたくさんしたけれど)

父は、最後までブレずに、自己流を生き抜いたのだ。

そして、みごとに自分のお葬式もみんなに笑顔をくれた。

【ユーモアって、素敵だ!DNAに感謝をしよう!】

 

人はこの世に何を残すのだろう?

父が、残してくれたのは、
思い出という記憶と、
私の中で静かに息づく、ユーモアのDNAだ。

ならば、大事につかわなくてはならぬ。

そう思ったら、

たまに調子にのってしまう余計な癖も、
どん底の時もなぜか冗談をいってしまうカラ元気さも、
大事にしなくてはと思えてくる。

今までは全く自覚していなかったけれど、
案外図々しいところなんかも
父のDNAの匂いがする。

父の娘であったことも、なかなか悪くないかな?
と思えてきた。

父のおかげで、波乱万丈な人生でサバイバルし、
びっくりするほど図太さも身についた。

感謝!

遺影のなかで、
今日も父は満面の笑みを浮かべている。

笑顔は人を元気にする。

 

Chie

 

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