訃報の度に思う事、人の死について、父と母からのギフトについて

白いお花 ギフト
白いお花 ギフト

今日のテレビは、麻央さんの訃報一色。

なぜ、彼女なんだろう?
あんなにも美しくて愛らしくて、優しくて心が豊かだ。

もっともっとたくさん生きて、
世の中に光を照らし続けてほしい女性。
闘病中であっても、
blogを通じて周りを勇気づける彼女の輝きは、
本当に素晴らしかったと思う。
人は、あんな風に強くしなやかに生きられるものなのだろうか。

彼女よりずっと年上の私だけれど、
彼女を人として尊敬しているし、
憧れでもあった。

心より御冥福をお祈りいたします。
そして、ありがとうございました。

 
昨日はたまたま、
今は天国にいる両親との、スリーショット写真を選んでいました。

久しぶりにアルバムをめくっていると、
父と母の笑顔の写真が沢山。
こんなにも笑顔が多かったのだろうか?と驚くほど。

老々介護。
大変な事も、辛い事も、沢山あったはずなのに、
写真は笑顔で溢れている。
ひょっとして、どこかで写真がすり替わったのでは?
と思うくらい。

もっと、つらい顔もあったのでは?

そんなふうに思うのは、
「母が認知症になって悲しい」
という、
私の心のフィルターだったのだろうか?
それとも、次々にトラブルを起こしてばかりいる父への
日常的な不安だったのだろうか?

ともかくも、
昨日は、
笑顔で溢れた父と母の写真を眺めていて、
つい、涙があふれてきた。

母は79歳、父は88歳の大往生。
ムスメの私だって立派なアラフィフだ。

父を看取ってから1年半もたつというのに、
まだ泣いてるなんて、、、、と自分でも呆れる。

でも、不思議なもので、
2人を天国に見送ってからもなお、
時間が経つごとに、

両親への思いも見方も、
少しずつ変化するのだ。
見えないものが見えてきたり、
新たな感謝が生まれてきたりする。

思えば、
遠距離介護真っ盛りの時は、
私自身もヘトヘトだった。

認知症が進行していく母を見ているのは辛かったし、
一緒に暮らしてあげれらない自分を責めてもいた。

そして、
若い頃から、
なにかと家族を困らせてばかりいた父に対して、
どこかしら不満を募らせていた。

一般的に、人は、
目の前にいる現時点のその人を評価するのではなく、
過去の記憶と結びつけて目の前の人物を評価してしまう。
過去の記憶に結びついて、
歪められてしまうのだ。

だから、
父が認知症になった時、
実際には認知症の症状による問題行動だと頭でわかっていても、
ついつい、
「まったく、昔から自分勝手で、、、」
と思ってしまうのだ。

介護が、
「親子だからこそ辛い」
と思われるのは、
こういう事なんだと思う。

でも、母が認知症になってからの父は、
娘の私でも驚くほど、
本当に頑張ったと思う。
70歳をすぎてから、
まさかの逆転ホームランを打ったみたいに。

母が認知症になった時、
「お母さんの面倒は、お父さんが看る!
今まで苦労ばかりかけてきたんだから、
お父さんが面倒みなくてどうするんだ。
施設には入れない!」
と宣言し、
それから、約4年間、自宅で母の面倒をみた。

毎日ご飯を作り、母をお風呂に入れ、髪をとかしてあげた。
服を選び、着替えをさせて、デイサービスに送りだした。
料理のレパートリーも増え、まめまめしく面倒をみた。

驚くことに、
母の白髪染めまで父がしてあげていた。
「髪を染めた方が、お母さんは若くみえるからね!」と。

そして、2人で嬉しそうに笑っているのだ。

島に帰省すると、
母の服には白髪染めの黒いシミがついてしまっていて、
洗っても取れなかったり、
台所も、お風呂も、床もドロドロに汚れていた。

母が着せられた服は、色合いが上下チグハグだったりして、
コーディネートとしてはかなり奇抜。
どれをとっても、危なっかしくて、イビツな老老介護だ。

私は、帰省している間中、
お掃除やら洗濯やらでヘトヘトになり、
精神的にも
「追いつめられているのは自分だ」
と思っていた。

そして
私の自分勝手な基準を当てはめて、

「汚くて、不完全で、ちゃんと出来ていない!」
と父の介護に不合格の烙印を押し、
そんな環境で暮らしている母を
「可哀想。。。。私が一緒に暮らしてあげないからだ」
とまた自分を責めていた。

イビツだったのは、
本当は、私の気持ちだったのかもしれない。

そして、昨日、
笑顔で溢れる2人の写真を見返しながら、
思った。

笑顔が多かったのは、勘違いでもなんでもなく、
ちゃんと笑顔で過ごしていたのだ、と。

父も母も、
老々介護の毎日を精一杯生きていたのだ。
そして、
白髪染めのシミがついた服を着ていようが、
お風呂に黒カビが生えていようが、
2ヶ月もシーツを取り替えていなかろうが、
おかずのバランスが片寄っていようが、
おそらく、幸せだったのだ。

そして、
今ここに残る沢山の写真を撮ったのは、全て私だ。
父の笑顔も、母の笑顔も、
ファインダーを覗いている、私にむけられた笑顔なのだ。

たまに帰省する娘に向けられた笑顔なのだ。

娘にどんなに小言を言われようが、
日々の老々介護がどんなに大変だろうが、
娘と一緒にいる事が嬉しかったのだと思う。

そう思ったら、涙が溢れてきた。

なんで、もっと、
父を褒めてあげなかったんだろう。

なんで、もっと、
「お父さん、頑張ってくれてありがとう」
と、言ってあげなかったんだろう。

だから、
ちょっと遅いけれど、
仏壇に手を合わせて、
「ありがとうね。」
と言ってみる。
人の命は、その人本人だけのものだ。
たとえ、家族であっても、支配したり操作したりすることはできない。

他人からみたら、
どんなにイビツで上手くいってないようにみえても、
本人にとってはかけがえのない毎日を精一杯生きている。

どんな時も笑顔を絶やさずに生きた母を、
そして、
自分流をブレずに過ごし、毎日を楽しんで生きた父を、
心から誇りに思う。

父と母を看取り、命について考える時、
どんな人も、その人らしく生きることができれば、
それは幸せな人生なんだと思うようになった。

それこそが、
私が、
父と母の死から受け取った、
ギフトだ。

 

2003年 黒川温泉
白いお花 ギフト

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